ミヤジダケジンジャ
宮地嶽神社

  創建は約1600年前までさかのぼるそうです。
国史にその名を残す息長足比売命(神功皇后)の御代で、仲哀天皇のなきあと、自ら大陸に渡り、皇后は当地に滞在され、裏の山の頂きに祭壇を設け、「天命を奉じて彼の地に渡らむ、希わくば開運を垂れ給え」と、祈願して船出されということから彼の地を「宮地」と呼び、彼の山を「宮地嶽」と称するようになり、息長足比売命の有名不可思議な偉業を称え、祭神と祀り、ともに功労をなした勝村・勝頼両神とあわせて、宮地嶽三柱大神と崇めている。
神功皇后(じんぐうこうごう)
記紀所伝の仲哀天皇の皇后。気長足姫(息長帯比売)(おきながたらしひめ)の漢風諡号。天皇の死後、新羅に出陣、凱旋ののち筑紫の地で応神天皇を出産、69年間摂政をつとめたという。「播磨風土記」などでは大帯姫(おおたらしひめ)とも。
鎮座地:福岡県宗像郡津屋崎町宮司1304
2003年4月女房と志賀島に行く途中に立寄り参拝した時には絵馬を求めていませんでした。
時は過ぎ、2022年9月義姉の通夜の前に和白に住む義妹と参拝しました。妻を喪っているいま、参拝しながら、(2003年)当時は"“撫で牛”は奉納されていなかったな。本殿前に“2羽のフクロウが飼われていました”が当時フクロウはいなかったななどと思い出しながら参拝しました。葬祭ですのでデジカメを持って行っていなかったので、参拝記念に絵馬を求めました。
22.09.24.更新   04.08.17編集
2003年は「癸未」ですので、いつの巳の年に求めたか思い出せないのです
2022年9月12日参拝(記念)



絵馬一覧に戻る



雑貨コレクション
宮地嶽神社
宮地嶽神社の絵馬


「福岡ぶらり散歩」編
カウンター