オオサキハチマンジンジャ
大崎八幡神社

  祭神:応神天皇・神功皇后・仲哀天皇
慶長12(1607)年伊達政宗により造営された桃山様式の神社で、絢爛豪華な装飾・金具が特徴的です。長い石段と老杉の並木。京都の豊国神社にならい造営したといわれる社殿は本殿と拝殿を石の間でつなぐ権現造りの典型で桃山建築の様式を現在に伝える最古の社殿として国宝の指定を受けているそうです。  
☆平成10(1998)年、「大崎八幡神社」から改称し「大崎八幡宮」となったそうです。
宮城県仙台市青葉区八幡4-6-1
昭和47(1972)年仙台支店に転勤になった年にお参りした大崎八幡神社、寒風の中の裸参りが有名と聞いたのですが、こちらに戻るまで毎年TVでみるだけのわたしでした。
04.08.17裕・追記編集
おうじんてんのう
応神天皇
記紀の所伝の第十五代天皇誉田別命(ほんだわけのみこと)の漢風諡号(しごう)。仲哀天皇の皇子。母は神功皇后。この時期、朝鮮・中国から渡来して技術を移入する者が多く、大和朝廷の勢力が大いに発展した。「宋書」の倭王讃をこの天皇にあてる説がある。
じんぐうこうごう
神功皇后
記紀所伝の仲哀天皇の皇后。気長足姫(息長帯比売)(おきながたらしひめ)の漢風諡号。天皇の死後、新羅に出陣、凱旋ののち筑紫の地で応神天皇を出産、69年間摂政をつとめたという。「播磨風土記」などでは大帯姫(おおたらしひめ)とも。
ちゅうあいてんのう
仲哀天皇
記紀の所伝で、第十四代天皇。足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)の漢風諡号。日本武尊(やまとたけるのみこと)の第二王子。皇后は気長足姫(おきながたらしひめ)(神功皇后)。熊襲(くまそ)征討におもむき筑前橿日宮(かしひのみや)で没したという。



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