チュウソンジ  セキゼンイン
中尊寺 積善院

  嘉祥3(850)年に慈覚大師が開基した天台宗の寺院で、建立時は関山弘台寿院と号しましたが、貞観元(859)年に中尊寺と改めました。
奥州藤原氏・初代清衡は、この基盤の上に長治2(1105)年、前九年・後三年の戦いで亡くなった人々の霊をなぐさめ、仏国土を建設するため中尊寺一山の造営に着手しました。文治5(1189)年、すなわち義経が没し、藤原氏が滅亡したこの年の9月17日の条に、当時の中尊寺の規模が「寺塔四十余宇。禅坊三百余宇也」と「吾妻鏡」に書かれ、また、平泉中心の体制づくりが仏教を基盤にして行われたことが記されています。惜しくも14世紀に野火のため多くの堂塔は焼失したといわれていますが、今なお山内には弁慶堂・本堂・鐘楼・旧覆堂・不動堂・積善院(特別史跡)などが点在しています。
岩手県西磐井郡平泉町平泉
いつ中尊寺に行ったのかと思い出せない歳になりました。
そこで、仙台支店に転勤したのが昭和47(1972)年7月〔壬子〕とネズミ年でした。東北にいた10年間の内通算約5年づつ宮城県と福島県に住み、昭和57(1982)年に広島支店に転勤になりました。
昭和47年の次のネズミは昭和59(1984)年〔甲子〕なのです。
このことから推測すると転勤になった昭和47年秋に中尊寺にひとりで行ったのであろうと。
21.11.01.追記   04.08.17裕・編集



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