筥崎宮の絵馬
ハコザキグウ
筥崎宮
  筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両八幡宮とともに日本三大八幡宮の一つといわれています。平安時代のはじめ、延喜21(921)年醍醐天皇はご神託により大陸・玄界灘に面したこの地に国家鎮護のため壮麗な御社殿を建立し、延長元(923)年、祭神を移し祀ったと伝わっています。祭神は応神天皇・神功皇后・玉依姫命。
福岡市東区箱崎1-22-1
正月の玉せせりと9月の放生会には参拝者で賑わう。境内には宝物殿、石燈篭、唐船塔、蒙古の碇石等がある。博多では古くより、筥崎宮の海岸の真砂をお潮井といい、これを[てぼ]といわれる竹かごに納めて持ち帰り玄関口に備える。お潮井は、[災いを除き福を招くもの]として、常日頃より身を清めるお祓いに用いられる。
04.08.16裕・追記
おうじんてんのう
応神天皇
記紀の所伝の第一五代天皇誉田別命(ほんだわけのみこと)の漢風諡号(しごう)。仲哀天皇の皇子。母は神功皇后。この時期、朝鮮・中国から渡来して技術を移入する者が多く、大和朝廷の勢力が大いに発展した。「宋書」の倭王讃をこの天皇にあてる説がある。
じんぐうこうごう
神功皇后
記紀所伝の仲哀天皇の皇后。気長足姫(息長帯比売)(おきながたらしひめ)の漢風諡号(しごう)。天皇の死後、新羅に出陣、凱旋ののち筑紫の地で応神天皇を出産、69年間摂政をつとめたという。「播磨風土記」などでは大帯姫(おおたらしひめ)とも。
たまよりびめ
玉依姫
※「たま」は「魂」の意。神霊を宿した巫女を一般的に称したもののようです。

(1)記紀神話で、綿津見神の次女。姉の豊玉姫命の子草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の妻として神武天皇などを生んだ。
(2)風土記に見える神。賀茂健角身命(かもたけつぬみのみこと)と伊古夜日売(いかこやひめ)との娘。丹塗矢(にぬりや)となって通った火雷神(ほのいかずちのかみ)との間に、賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)を生んだ。



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