ツルオカハチマングウ
鶴岡八幡宮

  祭神は応神天皇、比売神、神功皇后の三座を祀る。
1063(康平6)年源頼義は鎌倉由比(ゆい)郷に石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を勧請(現在の末社由比若宮)し、1180(治承4)年源頼朝は東国に挙兵し鎌倉に入ると、社を小林郷北山の現社地に遷し、都市鎌倉の中心に据えました。以後八幡宮は、源氏の氏神、幕府の守護社として、鎌倉幕府の発展に伴って機構が整備され、別当、25坊の供僧などが置かれました。1191(建久2)年社殿を焼失したため、裏山の中腹を切り開いて本社(上宮)を造営、山下の若宮(下宮)、摂末社も整い、面目を一新しました。
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
明治の神仏分離によって打撃を受け、一時疲弊したそうですが、第二次世界大戦後とくに昭和40年代の初詣で人口の増大にのって、8年間初詣で日本一を記録したそうです(現在は明治神宮が一番と聞きます)。
04.08.16裕・追記編集
おうじんてんのう
応神天皇
記紀の所伝の第一五代天皇誉田別命(ほんだわけのみこと)の漢風諡号(しごう)。仲哀天皇の皇子。母は神功皇后。この時期、朝鮮・中国から渡来して技術を移入する者が多く、大和朝廷の勢力が大いに発展した。「宋書」の倭王讃をこの天皇にあてる説がある。
ひめがみ
比売神
女神。    ※彦神ひこがみ=男神
じんぐうこうごう
神功皇后
記紀所伝の仲哀天皇の皇后。気長足姫(息長帯比売)(おきながたらしひめ)の漢風諡号(しごう)。天皇の死後、新羅に出陣、凱旋ののち筑紫の地で応神天皇を出産、69年間摂政をつとめたという。「播磨風土記」などでは大帯姫(おおたらしひめ)とも。



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