メイジジングウ
明治神宮

  明治天皇・昭憲(しょうけん)皇太后を祀っています。大正9(1920)年11月創建。明治45(1912)年7月明治天皇が亡くなり、大正3(1914)年4月その皇后昭憲皇太后が亡くなったあと、国民の間からその神霊を祀り、遺徳を慕い敬仰したいとの気運が高まり、1915年明治神宮造営局官制が公布され、江戸初期以来、大名加藤家、井伊家の下屋敷の庭園であり、明治時代に代々木御苑とされ、明治天皇・昭憲皇太后ゆかりの当地を選び造営することとしたそうです。その境内約70万uの造園整備は全国青年団の勤労奉仕によりなされ、その樹木365種、約12万本も全国より献納されました。30万uに及ぶ外苑は大正15(1926)年完成。昭和20(1945)年4月本殿以下戦災を受けましたが、昭和33(1958)年に復興しました。旧官幣大社。
東京都渋谷区代々木神園町1-1
仙台支店勤務中、幾年かは人満員の列車で、実家まで帰省することを嫌い、東京に住んでいる兄貴夫婦の家にお世話になっていました。その時初詣したのが明治神宮でした、初詣の人出では日本一と云われ列に並んでのお参りではありました。
04.08.02裕・追記編集
甲寅 (昭和49年)1974年
乙卯 (昭和50年)1975年
丙辰 (昭和51年)1976年
丁巳 (昭和52年)1977年
 新聞報道で明治神宮が神社本庁から離脱したということを知りましたわたしは。
『明治神宮が神社本庁からの離脱を申請していた問題で、東京都は8月2日、申請を認める形で宗教法人規則の変更を認証した。』
『神社本庁の矢田部正巳総長は2日、「まことに遺憾。翻意願えなかったことは残念の一言だ。ただ、明治神宮との話し合いで、一定の冷却期間を置いた上で近い将来必ず復帰すると確約が得られた。今後は双方の責任者が協議を継続して一日も早く正常化する覚悟だ」との談話を発表した。  離脱に至る直接のきっかけは、「参拝式」の案内状の中で、天皇、皇后の敬称を「天皇皇后両陛下」と書くべきところを「両殿下」と‘誤記’した問題。その「けじめ」のつけ方をめぐって、神宮側は「始末書」で決着させようとしたが、本庁は「進退伺」の提出を求めたことなどから、神宮は離脱を申請していた。』
そうです。
2004.08.08追記



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