ヒロシマゴコクジンジャ
廣島護國神社
  明治元(1868)年11月、明治維新の戊辰の役において陣没した高間省三命以下78柱を、二葉の里に造営された「水草霊社」に奉祀しての創建。
昭和9(1934)年、社殿老朽で、西練兵場(現在の市民球場の辺り)の西端に新社殿を造営し移転。昭和14(1939)年に廣島護国神社と改称された。
昭和20(1945)年8月6日被爆で社殿すべてを焼失。その後同地に小祠を設けて祭祀を続け、市の復興に伴い移転されたため、昭和31(1956)年秋現在の廣島城跡に新社殿が造営された。
広島市中区基町21-2
07.01.02裕・追記編集
1992(平成4)年
2007(平成19)年



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廣島護國神社(概説)
被爆し現存する鳥居
被爆倒壊した鳥居脚部
  (被爆した)鳥居(拡大)、名版石
吉田正浪作:英霊にささぐ・像
丸山幸一作:双鯉の像・昇鯉の像
寶祚無窮矣・碑
ノモンハン事変15周年記念・植樹碑
(番外)廣島護國神社の絵馬
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